up2008.2.28 作成中
◆はじめに
 掲載内容は、私が解る限りWebや文献等から調査した物で、確かな物ではありません。
 また、放映内容との相違に関しては歴史的な事実がそうであったと言うだけで脚本に異議を唱えるものではありません。
 以上の事をご承知の上、お楽しみください。

◆具体的な時代 / 天保〜慶応:1835〜1865年頃!?

第1 シリーズ第6 話で、将軍として「徳川家斉」(在位期間:1787〜1837年)が登場する。
ラストシーンで、家斉は隠居するといっていたので、1837年近辺とすると、最初頃は1830年近辺だったのではないだろうか。
また、最終話に黒船来港や人力車など、幕末色が色濃いため1835年〜大政奉還1865年の30年間程度が、シリーズ全体の時代背景と考えられる。
全シリーズで、将軍が家斉>家慶>家定>家茂>慶喜の時代を残九郎は生きたことになる。

◆幕末の時勢

史説によれば、家斉はかなりの放蕩物だったらしく、幕府の財政はかなり厳しい物になっていたらしい。
また、家斉は側室など数多くの女性を有し、多くの姫を誕生させた。その姫を、各大名に押しつけ幕府への援助など要求していたらしい。
当然、市中の物価や景気にも影響していたのではないかと想像できる。のちに、町衆による打ち壊しなどが行われる結果となった。
家斉の後、4 人の将軍は任期が短く、混乱の多い時代だったことが想像できる。

◆18松平の1つ!荻生松平 / 三河西尾の松平和泉守乗寛と同門の・・・

三河西尾の松平和泉守乗寛とは、三河西尾藩八代目当主である/大給松平家13代目。(下図参照)
大給松平家とは、松平宗家の四代目の親忠の次男の乗元を祖とする名門で、三河の荻生(おぎゅう)住んだ事から、大給松平と称した。
大給本流が大名になったのは天正18年、六代目の家乗の時。(上野国那波郡で1 万石)

歴代老中も、この大給松平家から5 人就任している。(上図参照)
残九郎が、「三河西尾の松平和泉守乗寛と同門の・・・」と言っている時点で、「乗寛」は老中職だったのである。
あの台詞に絶大な効果があったことがこれで解ると思う。
ただし、乗寛は1839年暮れに死去しているが後半のシリーズでも、この台詞を使っている。
まぁ決まり文句になってるしなぁ・・・それはそれでぃぃかぁ(笑

乗寛と同門ということで、大給松平家2代目の「乗正」以降の分家が、残九郎の祖先と思われる。
調査して思ったのは、残九郎の松平家は、将軍家に結構近い存在であり、かなりの家格であったろうということだ。

★葵の御紋

残九郎が三つ葉葵の紋が入った扇子を持っているが、葵紋は、家康が征夷大将軍となってから権威ある紋として、一般の使用を禁止し一門親藩だけに使用を許した。
江戸時代には、将軍家と御三家および親藩の一部が使用した。
しかし、一門で本末を区別するためにいろいろな葵紋があり「大給松平家」は、上図にある紋を使用していた。

残九郎の家は、麻佐女が御三家に招かれる等、貧乏御家人の割には格式だけは高かった様に感じる。
それ故、特別に葵御紋の使用を許されていたのではなかったのか・・・と都合よく解釈したのであった。(笑

◆御家人 (Web資料より)

一般に、御家人は知行が1万石未満の徳川将軍家の直参家臣団(直臣)のうち、特に御目見得以下(将軍に直接謁見できない)の家格に位置付けられた者を指し、
御家人に対して、御目見得以上の家格の直参を旗本といった。
近世の御家人の多くは、戦場においては徒士の武士、平時においては与力・同心として下級官吏としての職務や警備を務めた人々である。
御家人は、原則として、乗り物や、馬に乗ることは許されず、家に玄関を設けることができなかった。ここでいう乗り物には、扉のない篭は含まれない。
例外として、奉行所の与力となると、馬上が許されることがあった。

御家人の家格は譜代(ふだい)、二半場(にはんば)、抱席(かかえせき)の3つにわかれる。
譜代は江戸幕府草創の初代家康から四代家綱の時代に将軍家に与力・同心として仕えた経験のある者の子孫、抱席(抱入(かかえいれ)とも)はそれ以降に新たに御家人身分に登用された者を指し、二半場はその中間の家格である。

御家人は大都市の江戸に定住していたために常に都市の物価高に悩まされた。
窮乏した御家人たちは、内職を公然と行って家計を支えることが一般的であった。

◆30 俵3 人扶持とは?

下級武士の賃金は、禄米と扶持米で支払われた。
禄米は、何俵(1 俵=4 斗)と言う単位で支払われ、斬九郎の30 俵であれば、12 石となる。
斬九郎は、最下級の武士だったので、扶持米(1 日米5 合で計算された)と言う形式で支払われた。
これは、1 年を360 日で計算して、1 人扶持を1 石8 斗としたもので、3 人扶持は、5 石4 斗になる。
この扶持米を、米手形で支給され、札差のところで、実際食べる米と残りを換金してもらったそうである。
※参考)1 石(=10 斗=100 升=1000 合)

◆斬九郎が使っていたのは、小判は?


冒頭の時代からすると、天保小判、安政小判、万延小判である。

シリーズ前半は「天保小判」、後半は「安政小判」というところか・・・

小判裏面に「保」の刻印があり、小判を識別できた。(図参照)
残九郎は使用していなかったが、五両判金というのもあった。
この方が、残九郎には使い勝手がよかったのではなかろうか(笑)

小判の寸法は、縦6cmなので劇中の小判と見た目がちょうどいい!
実感としては、タバコからフィルターを取り除いた長さと同じくらいで、手のひらにスッポリ入る程度である。
また、この頃の相場を考えると、1 両=1 〜2 万円位ではなかろうか!?