up2008.3.8

故、岸田今日子さんに捧ぐ。 天国でも御馳走をお召し上がり下さいますよう。

全50 話で麻佐女さまが、食べ尽くした料理達を列記してみました。

須美さんの手料理



麻佐女の美食歴



麻佐女御用達のお店  (多くの老舗の情報は得られませんでした)

◇山谷の江戸梅(さんやのえどうめ)  ◇梁山泊(りょうざんぱく)  ◇土橋の新尾花(しんおばな)

◇深川の平清(ひらせい)  ◇酔月(すいげつ)  ◇柳橋の川長(かわちょう)


◇八百善(やおぜん)(Web資料)
 八百善は文化文政の頃(19世紀初め頃)に江戸で繁盛した料理屋です。
 料理屋を開業する以前の八百善は、明暦の大火(1657)後に、新鳥越2丁目(山谷)で八百屋を始め、八百屋の善四郎の名から八百善とよばれました。

 その後文化年間(1804−18)に仕出し料理屋を始め、文政(1818−30)の初め頃から座敷で客をとる料理屋に発展したようです。

 『守貞漫稿』(1853)には「三谷(山谷)の八百善、天保(1830−44)中に自宅に客することを止め、仕出しのみを業とし、
 嘉永(1848−54)初めより再び自宅に客を請す」とありますから、長年の間には営業の仕方に変遷があったようです。

 寛天見聞録に掲載された、有名な『1両2分の茶漬け』は、以下の様ないきさつである。

  あるとき美酒美食に倦きた客が数人、八百善の座敷に上がって極上の茶漬けを注文したところ、少々お待ち願えませんでしょうかと言う。
  少々待つくらいかまわないとういうので客は待ったが、一向に料理が出てこない。
  そうして、かれこれ半日も待たされてやっとお茶漬けと香の物を食べることが出来た。

  その香の物というのは、春には珍しい瓜と茄子の粕漬を切り混ぜにしたもので、お茶漬けともどもまことに結構な味であった。

  さて帰る段になって勘定を聞くと1両2分だという。
  びっくりした客が問いただすと、主人が出てきて説明した。

  温室のない当時としては非常に珍しい瓜と茄子を使い、茶は宇治の玉露、米は越後の1粒選り、中でも最も金のかかったのはお茶に使った水だと言う。
  宇治の上茶に合わせるにはこの辺の水ではよくないので、わざわざ早飛脚を仕立てて玉川上水の取水口まで水を汲みに行かせたと言うのである。
  そのため時間もかかったし、運賃も高くついたわけで、それを聞いた客は"さすが八百善"と感心して帰っていったといいます。